プライマリケアと心療内科

熊野宏昭1,4) 鈴木伸一2,4) 大塚明子3,4)

1東北大学医学系研究科人間行動学分野

2早稲田大学人間科学研究科

3千歳こぶしクリニック

4足立医療生活協同組合綾瀬駅前診療所

 

  1. はじめに
  2. プライマリケアと心療内科との関わりを考える際には、2つの視点があると思われます。それは、プライマリケアに心身医療の技術をどう生かすかという視点と、プライマリケアの中で心身医療をどう展開するかという視点です。

    前者については、やはり、心身医療の中で培われてきた面接法の有用性ということに尽きるでしょう。例えば、近年、インフォームド・コンセントということが医療の現場でもうるさく言われるようになってきましたが、心身医療においては、患者さんに十分に説明して同意を得るということは全ての治療の出発点になっています。しかし、実は、それが多くの場合に必ずしも容易ではないのです。つまり、医療者側がインフォームド・コンセントを得ようという気持ちを持っていても、うまくいかないことも多いということです。それはなぜかと言うと、本来、治療は治療者と患者の共同作業であり、そこに治療者−患者関係が深く関わってくるからです。そして、それをどのように良好に維持、発展させていくかという点に、面接法の技術や知識が役に立ってくれることが多いわけです。こういった点については、以前「認知行動療法における患者との関わり方」という文章の中で、詳しく説明したことがありますので、関心がある方は、読んで下さればよいと思います1)

    そこで、以下本稿では、2番目の視点―プライマリケアの中で心身医療をどう展開するか−について、述べてみようと思います。この問題は、「心療内科医がプライマリケアを行うとしたら、どのような治療になるだろうか」と考えてみると分かりやすいかもしれません。筆者は、都内の小さな診療所で、週に1回一般内科・心療内科の外来を担当していますが、そこでの経験をもとに、以下ご説明してみようと思います。

  3. 受診症例の内訳
  4. 筆者の診療の現場は、下町の小さな診療所で、まさにその近隣の地域のプライマリケアを担っています。風邪の時期には、うがい薬の在庫が無くなるほど風邪っぴきの患者さんが来ますし、また、お腹をこわしただの、腰が痛いだの様々な訴えの患者さんがやってきます。平成8年に心療内科という標榜もしましたので、最近は電話帳などで見て、訪ねて来る方も少しずつ増えてきていますが、やはり患者さんの主体は、ご近所の、プライマリケアを求めてくる方ということになるでしょう。そのような方々の中に、心療内科的な見立てと対応をした方がよい人がどの程度いるのか、一度集計してみたことがあります。

    平成9年の4月から8月にかけて受診(初診、再診含めて)した患者さんのうち、65歳未満の方に、アンケート調査をお願いしました。その結果が表1ですが、86人中34人(40%)もの方が心療内科的な患者さんでした。そして、その方々の心理テストの結果を見てみますと、内科群よりも状態不安、特性不安、うつ状態、自律神経症状のいずれも高得点を示していることが分かります。つまり、プライマリケアを求めて一般内科の外来を受診される患者さんの中にも、心療内科的な対応が必要となる患者さんがかなり含まれているわけです。

     

     

    そこで、筆者は、平成8年の4月より、臨床心理士の方と協力して、認知行動療法的な心理カウンセリングを提供する試みを始めました。具体的には、まず私が、この患者さんには心理カウンセリングが有用なのではないかと思った場合に、その旨お勧めします。それで、本人も希望されれば、臨床心理士の方に面接治療をお願いするという形にしました。その結果、平成11年4月までの3年間に、50人の方がカウンセリング治療を受けられました。この経験を通して正直言って驚いたのは、私がお勧めしたほとんどの方が、カウンセリングを受けることを希望されたことです。心理的な治療に対する抵抗感は、治療者側が思っているほど強くないのかもしれません。

    ここでは、本態性高血圧症に認知行動療法を適用して、血圧の非薬物的なコントロールが可能になった1例について説明しながら、プライマリケアの中での心身医療の有用性や可能性について考察してみたいと思います。

  5. 症例2)
  6. 53歳、男性、個人タクシー運転手

    主訴:高血圧、特に拡張期血圧が高いことが気になっている。

    家族歴:妻と子ども2人の4人家族。息子は大学受験を控えているが、家庭は円満で、特に心配なことはないということであった。

    既往歴:胆道結石(1年前、薬の服用によって完治)。

    現症:特記すべきことなし。血液検査においても、総コレステロール、中性脂肪などの高血圧のリスクファクターとなりうる指標は正常域であった。

    現病歴:2年前に近所のホールにあった簡易血圧計で血圧を測ったところ、220110mmHgであった。それ以来、血圧が高いことが気になっていた。健康診断で降圧剤を飲むように言われ、数週間飲んでいたこともあったが、効果がないので服用を中止してしまった。ところが、昨年になって同じ団地で3人も脳卒中で倒れ、それから心配になって毎日血圧を測るようになったが、平均して14015090100mmHgを推移していることから一般内科患者として受診した。しかしながら、特記すべき既往歴や合併症がないこと、患者にできれば降圧剤の服用を避けたいという希望があったことから認知行動療法に導入した。

    診断:既往歴および血液検査において特記すべき点がないこと、夜間の仕事が多い個人タクシーの運転手という過剰な労働状態にあることなどから、ライフスタイルの影響の大きい本態性高血圧症と診断した。

    治療経過:初診時において聴取された患者の生活パターンは以下のようであった。毎日20時に出車、明け方5時頃に営業を終了する。6時頃にガソリンスタンドが開くのを待って給油し帰宅する。仕事中1時間程度の仮眠を取ることが多い。若い頃はあまり気にならなかったが、最近は長距離のお客が多いと疲れを感じることがある。帰宅後は、食事をした後に11時頃まで睡眠をとる。起床後、20分程度の速歩を習慣としている。午後は、仮眠を取ることもあるが、金額計算や書類作成などの事務作業をすることが多い。性格は几帳面で、何事もきちんとしないと気がすまない。個人タクシーの組合の役員を務め、自分の営業以外にも雑用を頼まれることがよくあり、イライラすることも多いということであった。タバコは喫わず、アルコールは食事前に缶ビール1本程度であった。

    以上の訴えから、心身の過緊張状態および高血圧が維持されている要因として、睡眠時間の不足、タクシーの運転手という緊張感の高い仕事内容などが考えられた。そこで、緊張感の緩和と自律神経系の調整を目的として、標準公式による自律訓練法を適用した。そして、訓練記録の記入と毎日時刻を決めて血圧を測定することの2つをホームワークとした。図1は、本症例の1週間毎の血圧平均値の推移を示したものである。

     

     

    第2回〜第4回の面接では、自律訓練法の進め方、生活習慣と血圧変動との関係などに関する心理教育的介入を行った。患者は、自律訓練法を毎日欠かさず帰宅後1回、午後2回の計3回行っており、積極的に取り組んでいた。リラックス感は、訓練をはじめて2週目頃から感じられるようになり、4週目では、「長距離の客が多い日でも少し身体が楽になったような気がする」と報告している。しかしながら、訓練時の重温感については、なかなか感じられないとの訴えがあった。そして、その後も大きな進展がなく、第6回目の面接では、重温感がなかなか感じられないことや、血圧に変化が見られないことに対して不安や焦りを訴えるようになった。また、「1日に何度も血圧を測る」、「訓練時に周囲の音が気になって耳栓をする」、「1回の訓練を30分以上も行う」、「脳卒中が心配で脳ドックを受ける」などの心気的・強迫的行為が見られるようになった。そこで自律訓練法の進め方について再度説明するとともに、第7回目の面接から、日常生活における問題点や訓練の前後によく浮かぶ考え方についての話し合いを行った。すると、行動的側面では、起床時間を早めてNHKの教育番組を見ていること、日中はほとんど休息を取らず、事務作業やある国家試験の試験勉強をしていることが明らかになった。認知的側面では「今年こそ、国家試験に合格しなければならない」、「自律訓練法の効果が出ないのは、本当はどこかに病気があるからだ」、「タクシー組合の仕事は、断ることができない」等の考えがあることが明らかになった。そこで、行動的問題点に焦点を当て、@出車および帰宅時間を2時間早めて睡眠時間を増やすこと、A朝、寝床の中で自律訓練を行い、午前中はできるだけゆったり過ごすことを課題とした。

    9回の面接では、行動的な課題は比較的容易に実行でき、「血圧を何回も測定する」、「訓練時に耳栓をする」等の心気的・強迫的行為は減少していることが確認された。しかしながら、認知的な問題点については大きな変化が見られなかった。そこで、第10から15回にかけて、日常生活や訓練の前後で浮かぶ考え方は妥当か、他の考え方はないかなどが面接の中で話し合われた。すると、このころから、収縮期血圧が140mmHgを下回ることが多くなった。そして、第15回面接では、「朝自律訓練をしているうちに、また寝てしまうことが多くなった」、「NHKの教育番組を見逃しても、まあいいやと思えるようになった」、「自律訓練中とても気持ちよく、身体が深く沈む感じがある」などが報告された。また、第18から19回頃になると血圧も安定して、1301358090mmHgを示すようになり、生活に関しても「全般的に楽に過ごせるようになった、以前のような焦りはあまりない」等が報告されるようになった。そこで、第20回面接では、今後も自律訓練法を継続することや、健康的な生活習慣を身につけることを再度確認し、治療終結となった。

  7. 症例の考察
  8. 本症例は、どこの診療所でお会いしてもおかしくないような、普通の本態性高血圧症の患者さんです。この症例のように、薬を飲みたくないという例は多いのですが、そういった場合には、高血圧の合併症の恐ろしさなどをくり返し説明して、薬を飲むように説得するのが一般的であろうと思います。しかし、今回は初診時にお話をお聞きする中から、慢性の緊張状態の関与が疑われたため、心理カウンセリングに導入し、結果的にはそれが奏効したわけです。ここで、本例が所謂「白衣高血圧症」ではなかったことにも留意する必要があると思います。現病歴あるいは図1からも明らかなように、本症例の血圧は、医療環境下のみならず自宅でも一貫して高血圧域に入っていました。それが、自律訓練法、行動的介入、認知的介入といった一連の非薬物療法によって完全に正常域にまで低下したのは、実は特筆に価することであると思います。

    この例がもしかするとそうなったであろうように、プライマリケアの領域では、患者さん本来のニーズや希望が十分に汲まれることなく、一般的に推奨される治療法に導入されてしまう症例がかなり多いのではないかと思われます。そこで、心療内科的な観点が持てれば、患者さんの希望に添えるだけでなく、余分な薬を使うこともなく、また治療期間の短縮化や医療費の削減にも貢献できる可能性があると言えるでしょう。

  9. まとめ
  10. 以上、本稿では、プライマリケアの中で心身医療をどう展開するかという点について、筆者の経験をもとに論じてきました。そして、読者の皆さんには、一般内科の外来でも思いの外「心療内科的な」患者さんが多いということと、「内科的な」患者さんの中にも心療内科的なアプローチがとても役立つ方がいるということがご理解いただけたのではないかと思います。筆者のごく限られた経験でもこのようなことがあるわけですから、プライマリケアの領域で、今後心身医療が果たすべき役割が非常に大きくまた実り多いことは間違いないと言えるでしょう。

  11. 文献

  1. 熊野 宏昭:認知行動療法における患者との関わり方.心身医療 9122312271997
  2. 鈴木伸一,熊野宏昭,坂野雄二:心身症の認知行動療法−症例を中心に−.心身医療 9126012671997